本の出版記念会

 “まだ、いるか?”
 そんなメッセージが届いて数十分後、赤井さんはやってきた。

「Hey〜!シュウ、来ると思ってたぜ」
「待ってたぞ〜!」

 バーカウンターの椅子をくるっと回しながら入り口の方へ視線を向けてみると、赤井さんは気が向いただけだと言ってクールに返していた。その表情は僅かに笑みが浮かんでいるから満更でもなさそうだ。みんなと肘を立てたまま男らしい握手を交わすと、自然な流れで互いの肩同士を強く当て合っている。メンズらしい挨拶をしている姿もどこか格好いい。

 赤井さんは普段こう言う場に呼ばれても、気まぐれで居たり居なかったりする。そんな赤井さんの参加を賭け事として楽しむ人もいるくらいなのだから、愛されているなとぼんやり思った。

「はい、お嬢さん。バーボンウィスキー、ロックね」
「あ、ありがとうございまーす!」

 私はバーテンダーさんから頂いたグラスを手に、一人ウイスキーを楽しんでいく。今日はFBIを退職した元捜査官の方の招待でここへ来ていた。どうやら自叙伝を出版したそうで、その記念会らしい。主催者である方とは直接的にお仕事をしたことはないけれど、先日、本部へやってきた時に「お嬢さんも良かったらおいで」というお誘いを受けてお邪魔していた。

 再度赤井さん達の方を見ると、何やら挨拶に花が咲いているみたいだ。赤井さんにとっては懐かしい顔ぶれもいるようで楽しそう。

「あ、」

 すると赤井さんが顔を上げた。しっかりと私の姿を捕らえたようで、目を細めている。私は咄嗟に会釈だけして背中を向けたのだけど、赤井さんがみんなに断りを入れるような形でこちらに歩いてくるのが何となく分かった。

「連絡、助かったよ」

 真横にやってくる大きな影。トン、と滑らかな動作でカウンターに両腕を置くと赤井さんは片手を上げた。

「彼女と同じものを」

 それが、少し嬉しい。

「やっぱり会場の場所、覚えていなかったんですね?」

 彼は片方の眉だけを上げて、軽く笑っている。そもそも主催者の彼と赤井さんは以前仕事をしていた仲だと聞いていたのに、今日が記念会だということを彼は忘れていたのだ。そして夕方、ジェイムズさんに捕まっていた赤井さんを本部に残して来たはいいものの、案の定、全然やってこないので会場場所を添付してメッセージを送っておいた。

「でも良かったです、赤井さんが来てくれて」
「……待っていてくれたのか?」
「え?……ちがいます!彼が、ですよ」

 今日の主催者でおじ様へ目を向けると、赤井さんは乾いたように笑った。ちょうど、赤井さんのウィスキーもカウンターの上に置かれる。

「まあ、彼については後で話しかけにいくとするよ」
「え、そんなドライな」
「それより珍しいな、君が一人とは」

 グラスの中の氷がカランッという良い音を立てて溶けていく。どうやら赤井さんは私と話す気らしく横の椅子に腰掛けた。わざわざ来たのに、ここに居ていいのだろうか?

「まぁ……本当はもう帰ろうかなと思っていたんですけど」
「それは、ありがたいな」
「ん?」
「待っていてくれたんだろう?」
「え?」
「違うのか?」

 赤井さんの目がいつもと少し違う。本気なのか揶揄っているのか判断がつかない。

 赤井さんを待っていた訳ではないけれど、“まだ、居るか?”と聞かれて、“居る”と答えてしまった以上、居なきゃいけないと思った。それを“待っている”というのなら、そうだけれど、決して私が会いたくて待っていた訳では。

「べつに……」
「ん?」
「え、もうとにかく!ダメですよ此処にいちゃ!」
「何故だ」
「みんな待ってますよ?私となんて、いつでも……」
「俺は名前と話がしたいんだがな」

 直球すぎるその言葉に、いよいよ眉を顰めてしまった。話がしたいって、そんな改まって話すようなことあっただろうか。

「私、何かしちゃってました?」
「……いや、仕事のことじゃないよ」
「ああっ、良かった……」
「そうじゃなく、君とちゃんと話がしたいとずっと思っていた」

 それは、赤井さんにしてはしっとりとした話し方だった。節目がちに綺麗なグリーンアイが向けられる。こんな赤井さんは知らない。一体どうしたというのだろう。

「本当さ。最近は特に、踏み込もうとすれば逃げられてしまう。避けているんじゃないかと思うくらいにな」

 その言葉にドキリとする。確かに、ちょっと赤井さんを避けていた部分はあった。一人で帰ることも増えた。夕食の誘いも、何度もそれらしい理由を言って断っている。

「……酔っているんですか?」

 どう答えたらいいか分からなくて、グラスに手が伸びていた。沈黙の時間を繋ぐように喉を動かしていく。悪酔いしてしまいそうだと、思ってもグラスを置けなかった。

「そうかもな、」

 赤井さんがつぶやく。その返事に驚いて彼を見上げると、綺麗な瞳が向けられた。全然、酔ってなんかない瞳をしながらどうして……。

「Hey!シュウ!!」

 そうして赤井さんが次に口を開きかけたとき、この空気を断ち切るように声がかかった。このパーティの主催者である、元FBIのおじ様だ。

「俺に挨拶もなしに、可愛いお嬢さんを口説き始めるとは相変わらずだな〜!」

 だいぶ酔っているのか、彼は機嫌良く赤井さんの肩を叩いている。久しぶりの再会を待ち望んでいたようで、大きく口を開けて笑っているから私も釣られて少し笑ってしまった。赤井さんは面倒そうに返事をしているけれど、おじ様は嬉しくて仕方がないみたい。話が尽きなそうだ。

「じゃあ、私は……」

 お邪魔かと思い、グラスを持って立ち去ろうとすると、赤井さんに呼び止められる。

「名前、」
「……ん?」

 トントン、と赤井さんは私が座っていた椅子を指先で軽く小突く。居ろよと、半分助けを求めるようなフリをしているけれど目は真剣だ。そんな姿を見てじんわりと、胸に広がる熱い思い。本当に今日の赤井さんはどうしてしまったんだろう。戸惑う私を他所に、おじ様も楽しげに笑っている。

「お嬢さんもほら!一緒に乾杯しよう!」

 おじ様はそう言うと、赤井さんの肩を抱きながら何かを耳打ちしていた。そんな彼を呆れるような表情で一瞥しながら赤井さんは再び私を呼ぶ。以前から知り合い同士の二人の仲に入るのは少し気が引けるけれど、温かい目を向けられれば断る理由もない。

「なら……っ」

 お邪魔します、と軽く会釈をして二人に近づくと、皆んなでグラスをぶつけ合った。

「あれ、」

 そこまでは覚えている。ただどうやって帰ったか記憶にない。学生でもないのに、これほど酔ってしまうなんて本当に何をやっているんだろう。翌朝、重たい身体を引きずりながら確実に迷惑をかけただろう赤井さんに朝イチで謝罪の電話をしたのは言うまでもない。